海外ドキュメンタリー「難民村の郵便配達夫」はブルガリアの寒村を舞台に欧州難民問題を取り上げた秀作。映画的な新タイプのドキュメンタリー!

ブルガリアの寒村が舞台のドキュメンタリー「難民村の郵便配達夫」(2016年)は、欧州難民問題を取り上げた秀逸なドキュメンタリーとして、2017年に数々の国際的な賞で受賞・ノミネートされました。

この作品は2017年にNHKBSで放送されましたが、とても良くできていて、面白い作品だと思いました。また、ドキュメンタリーとは何か?ということも考えさせられる作品です。

今回は、この海外ドキュメンタリー「難民村の郵便配達夫」を取り上げたいと思います。

スポンサーリンク
レクタングル(大)

「難民村の郵便配達夫」とはどのようなドキュメンタリー? あらすじは?

邦題の「難民村の郵便配達夫」はNHKの訳で、英語の題名は「The good postman」となります。監督は、ブルガリア出身でフィンランドに移民した映画監督、トニスラフ・フリストフ氏(1978年生まれ)です。

舞台はトルコ国境近くのブルガリアの寒村です。過疎と高齢化に悩むブルガリアの寒村は、2013年頃から問題となってきた、シリア内戦を受けての難民の欧州への移動(欧州難民問題)に直面することになります。

世界に忘れられたような欧州の片田舎の過疎問題と、世間の注目を集める国際的な問題である欧州難民問題が融合して取り上げられているところがこの作品の大きな見どころとなっています。

トレイラーはこちら↓

「The good postman」 (2016)    directed by Tonislav Hristov

Making Movies Oy/Soul Food (フィンランド/ブルガリア 2016年)

あらすじは以下の通り。

舞台はトルコ国境近くのブルガリアの寒村。トルコ国境に近いこの村は、シリアからの難民がトルコから欧州に向かうルートの途中になっており、難民が通過する様子が頻繁に目撃されている。

主人公のイヴァンは、この村の郵便配達員。村付近を通過するシリア難民を目撃したり、難民が空き家に寝泊まりした形跡を見た時は、携帯電話で国境警察に報告している。

イヴァンは、この村の過疎化を打開するため、シリア難民をこの村に受け入れ、定住させるという計画を考える。イヴァンはその計画を実現するため、市長選に立候補する。この村では過疎と高齢化が進み、有権者は38人しかいない。

対立候補は共産主義を標榜する隣人のハラチェフと、若い女性で現職市長のヴェサ。ヴェサは市長としての務めをろくに果たしておらず、執務室で音楽を聴きながらパソコンを眺めている。

市長選の結果は、現職ヴェサの再選。イヴァンは善戦するも、落選した。一方、欧州への難民の移動は欧州全体の大きな社会問題となっていた。

イヴァンは市長選の落選後、惨めな現状から抜け出したいというハラチェフの誘いで、難民の移動を手助けするビジネスを始める。テレビでは、トラックにぎゅう詰めにされた難民が窒息死するニュースが流れている。それを見るイヴァンと仲間たち。

その後のイヴァン。配達途中で難民を見かけても、国境警察に「今日は難民は見ていない」と電話で報告するイヴァンの姿があった。

舞台は東欧ブルガリアの寒村

本作品を見た人は、これはドキュメンタリーと言っているものの、実はフィクションなのか?と思うでしょう。この件については後で書くとして、まず本作品の内容について考えてみたいと思います。

この作品の舞台となっているブルガリアは、バルカン半島にある東欧の小国です。日本ではブルガリアというと、ヨーグルトやバラ、相撲の琴欧洲、と言ったイメージでしょうか。

ブルガリアはEU加盟国ですが、EU内では最貧国となっており、インフラ整備などはEUからの支援金に多くを依存しています。人口は710万余りですが(2015年)、少子高齢化が進んでいるほか、多くの国民が職を求めて西欧に移住していることから、人口が年々減少しています。

特に、本作品に出てくるような地方の村は過疎化が激しく、本作品に登場するような寒村はブルガリアではよくあるような村ではないかと思います。この点で、この作品はブルガリアの現状をよく写しているな〜と思います。

ヨーロッパの片田舎というと、スイスとかイタリアなどの風光明媚な田舎でのんびりスローライフを送る人たちを連想する人も多いでしょうが、それは西欧の先進国であって、旧共産圏の東欧の小国ではこんな感じだ、ということです。

本作品では村の建物や住居が出てきますが、かなりのあばら家です。家具や日用品も、何十年前のもの?という使い古したものばかりで、食事もおかゆのようなものだったり質素です。

ブルガリアは旧共産圏なので、どうしても旧ソ連的なところはあるのですが、寂れた寒村の様子は、旧ソ連の田舎でも似たような光景があるかもしれません。

欧州難民問題とは

ブルガリアはトルコと国境を接していることから、ブルガリアを不法越境して西欧(主にドイツや北欧)を目指すシリア難民が2013年頃から増加するようになりました。

特に、2015年夏に大量の難民(シリアだけでなくアフガニスタンやイラクなどからも)が大挙してドイツに押し寄せた時は、欧州難民問題として世界的に大きく報じられました。

本作品で取り上げられている難民は、西欧に移動するシリア難民です。トルコから欧州に向かうルートにはブルガリア経由とギリシャ経由(海越え)がありますが、本作品に登場する難民は、ブルガリア経由で欧州に向かう難民です。

トルコからブルガリアを通過し、セルビアやオーストリアを経由して最終的にドイツに到着するルートは「バルカンルート」として大量の難民が通過していきました(もちろん不法越境)。

こういうものは、各国が大量の難民の処理能力を超えてしまっている時にどさくさに紛れて通過してしまうのが一番良いわけで、この時機を逃すまいと、さらに多くの難民が押し寄せることとなりました。

もちろん、時間が経てば各国の管理体制が整うので、今ではもうこのようにはいかないと思いますが。つくづく、なんでもタイミングなんですね・・。チャンスというのは来た時に何が何でも掴まないと、一瞬で過ぎ去ってしまうものという事例ですね(><)。

ちなみに、2015年にドイツに押し寄せた難民は100万人を超えるとか。彼らが全員難民認定されたわけではないでしょうが(シリア難民だとほぼ認められるがアフガニスタンなどの経済移民は認められないことが大半)、ドイツに到着した難民の大半はそのままドイツに定住したわけです。

この頃は、海外テレビのインタビューでは、ドイツを目指すシリア難民の若者が「ドイツに行って無料で医学部に行って医者になる」といった類のことをよく言ってました。こういう感じで、シリア人に限らず外国人は皆アグレッシブです😏。日本人と違うところです。

この機会を利用してのし上がってやる、社会的に成功してみせる、という野心がある若者が普通にいました。10年以上経ったら、こういう人がドイツで社会的地位を築いてメディアで報じられたりするのでしょう。

もちろん、ドイツまでの道のりは過酷です。トルコからは陸伝いにブルガリアを不法越境するルートと海を越えてギリシャにたどり着くルートがありますが、前者は国境警察の監視をくぐり抜けての決死の山越え、後者は違法業者にお金を払い、粗末なゴムボートでの転覆の危険を冒してのギリシャの島への密入国です。

ヨーロッパ大陸にたどり着いても、ドイツまでの道のりはまだ長いです。数々の国境を越えていかなくてはなりません。トラフィッカーと呼ばれる違法な難民輸送業者に多額のお金を支払って運んでもらったり、様々な手段でなんとかドイツにたどり着きます。

この過酷な道のりは、若い人でないと無理です。老人はシリアに残されているのだと思います。

一方、ドイツに何とかたどり着き、難民認定されると、住居の他に生活費も支給されますし、語学プログラムを受けたり職業支援もあったり、かなり手厚い保護が受けられます。

これらはもちろんドイツの税金でまかなわれますが、ドイツはもはやEU内トップの経済大国なので、まあ大丈夫なんでしょう。メルケル独首相は難民を歓迎するかのような発言で非難されたわけですが。

ドイツでは、難民を単に人道的な面で見ているだけでなく、好調な経済を支える労働力として見ているので、社会的に受け入れられているという面もあります。北欧でも難民を労働力として活用する、という政府方針の下、大量の難民を受け入れています。

まあ、内戦で国が破壊され、祖国を追われている人たちなので、もちろん保護すべきなのですが、これに乗じて人生を成功させようとするアグレッシブさにはかないません(^_^;)

ところで、国が内戦になったり崩壊したら、簡単に国を捨てて、どこかに逃げて移住する方が世界的には圧倒的にメジャーです。日本みたいに、国が破壊されたら最後は一億総玉砕、というのはかなり特殊というか、日本人以外はないと思います・・。

太平洋戦争の時も、日本人は難民になってどこかに逃げたりしませんでした。そもそもそんな選択肢、思いつかないでしょう・・。まあ、日本が島国というのは大きいのですが。

しかし、半島からは太古の昔から海を越えて移民(?)がやってきていたことを考えると、海があるから逃げられない、というのは本質的な問題ではないような気もします。

日本は元から、「閉じられた組織、集団」の中で我慢するしかない、というようなあり方が一般的ですからね・・。「逃げる」という発想が希薄どころか、逃げるのは悪いことだ、という思想がものすごく強いですね、何につけても。

難民と移民の区別は難しい。難民問題は世界的な問題

話が逸れましたが、もう少し難民の話を続けます。

欧州に移動した大量の難民の中には、渦中のシリア難民だけではなく、アフガニスタンやパキスタン、イラン、イラクといった国々からの難民も多く含まれていました。さらには、地中海などを経由してやってくるアフリカ系の難民もたくさんいます。こうした難民は大半が若い男性です。

彼らシリア難民以外の難民は「経済移民」と呼ばれ、シリア内戦のような難民と区別され、基本的には難民認定を受けることができず、強制送還になります。

国際的に保護される難民とは、正確に言えば1951年難民条約で規定された「難民」であって、いわゆる政治難民とか戦争難民がこれに該当します。自分のいる国が貧しいから、という経済的な理由では難民認定されません。

世界には貧しい国がたくさんあって、こうした国では一部の特権層が富を独占しており、大半の国民は貧しいままです。こういう国では国家経済が未熟なので産業が育っておらず、仕事といえば、良くても一次産業くらいです(あとは兵士になるとか)。

世界には、先進国に移住したいと思っている人が莫大にいます。先進国で底辺の仕事をする方が、自国にいるよりはるかにましなのですから。より良い生活を目指す、というのは人間の根源的な本能とも言える欲求です。

しかし、先進国がこうした人々を受け入れていたら収集がつかなくなってしまいます。不法移民の問題は先進国につきものの問題で、どの国も頭を悩ませています。

経済移民側としては、内戦という事情があるとはいえ、シリア人は労働力として歓迎されるのに、自分たちは密航したり決死の覚悟で西欧にたどり着いても、強制送還されるだけ、というのは納得いかないでしょう。

しかし、経済移民は難民とは区別され、保護されないのが原則です。一方、難民と経済移民は厳密には区別できない、という意見もあります。世界には、実質的には紛争国に近かったり、政治や経済が破綻していたり独裁体制だったりする国家がたくさんあります。

こうした国の内情はかなり悲惨で、シリア難民とどこが違うの?メディアで報道される紛争国ばかりが保護されるの?ということにもなりかねません。

話が長くなってしまいましたが、欧州に限らず、難民問題というのは貧富の差がある限り、世界的にこれからもずっと起こり続ける普遍的な問題です。

本作品のテーマは? 過疎の片田舎でも世界のリアルな問題と直結するということ

上記の通り、過疎化が進むブルガリアの寒村は、住民は老人だけで、世界から取り残されたような感さえあります。そこに、大量のシリア難民がドイツなどを目指して通過していく事態が起こりました。

まさに、世界から取り残された片田舎が、突如としてビビッドな世界的問題の舞台に立つことになってしまったかのようです。過疎の片田舎が世界のホットな時事問題とシンクロしてしまった瞬間です。

主人公である郵便配達夫のイヴァンは、国を追われている難民に、この村に定住してもらったらどうかと考えます。この村には使われていない土地も家もたくさんあるし、若い家族が定住してくれたら、この村も昔のような活気を取り戻すのではないか。

折しも、第二次世界大戦を経験した村の高齢女性の中には、難民に食べ物などを与えて保護する人もいました。イヴァンは村の人望も厚く、自分の考えを実行するために来たる市長選挙に立候補することにしました。

候補者はイヴァンだけではありません。ライバル候補者には、共産主義者のハラチェフと現職女性市長のヴェサがいました。

ハラチェフは、昔のような共産主義に戻れば皆幸せになる、と主張します。現職ヴェサは何のビジョンもない人物で、地位に居座っているだけのような人物です。

作品は、村を通過するシリア難民たちとそれを取り締まる国境警察、村人の関係を背景に、3名の立候補者がいる市長選挙の行方を軸に展開していきます。

その中で、過疎の現状や欧州難民問題が取り上げられていきます。

本作品のテーマとしては、このような寒村でも世界の表舞台とダイレクトに繋がっている、世界と無関係ではない、ということなのだと思います。

欧州難民問題は思いかけずこの村を直撃したし、市長選挙は世界のあちこちで行われているプロパガンダ合戦と同じで、この小さな村も世界の縮図なのです。

先進国の大都会に住んでいる人でも、この村で起きていることは他人事ではありません。これが、この作品を普遍的でより興味深いものにしていると思います。

本作品はドキュメンタリーか映画か?

本作品を見ると、これはドキュメンタリーなのか、映画(フィクション)なのか?と誰でも疑問に思うでしょう。

確かに本作品は、ドキュメンタリーと映画の両方の側面を持っていて、ドキュメンタリーと映画のいいとこ取り?の作り方をしていると思います。

本作品では、このような作風がプラスに働いていて、純粋なドキュメンタリーでもなく、純粋なフィクションでもなく、という絶妙な表現が上手くキマっていると思います。

現実への介入を最小限にしなければならない、というのがドキュメンタリーの原則と言われます。

一方、本作品の脚本家のツヴェトコフ氏によると、「最小限の介入は必ずしも最大限の現実とはならない、現実に近づくにはむしろ介入しなければならない」との考えなのだそうです。監督のフリストフ氏も、これまで同様の手法で作品を撮っているので、ノウハウもあり手馴れているようです。

確かに、往往にして、純粋なドキュメンタリーは、淡々としていて絵的に見る側にとってつまらない面もあります。一方、映画はフィクションであり、現実ではない作り物であるという前提があります。

見る側にとって面白く、かつ現実を伝えるには、本作品のような手法は面白いものだと思います。

監督は映像にこだわって撮影しており、素晴らしい風景や構図など、まさに映画です。ドキュメンタリーに使うようなハンディカメラではなく、映画のように大きな撮影カメラと大勢のクルーで撮影したということです。その結果、素晴らしい映像美の作品にもなりました。

登場人物の考え方、行動は本人のリアルな現実を生かし、その現実を元にプロットを組み立てて物語風になるように撮影していったのだと思います。

実際、市長選の結果は制作者には分からないですし。撮影は、選挙前と後に2回に分けて行われたそうです。

現実とフィクションの境界線については、まさに作り手のセンスが問われるところで、行き過ぎるとただのフィクションになってしまいます。この辺の感覚は、監督の才能にかかっています。本作品は、ギリギリのところで止まっていると思います。

確かに、最後にイヴァンが国境警察に「難民はいない(実際はいるのに)」と通報する辺りは、明らかにヤラセに見えてしまいますが。でも、あのラストがないと全体が締まらないので、ギリギリokなラインでしょうかね。

それから、作品中で現職市長のヴェサは無能市長みたいな扱いですが(でも当選)、実際の撮影ではヴェサはどういう扱いだったのでしょうか、ちょっと気になります(^_^;)

もしイヴァンが当選していたら、どういうエンディングになったのでしょうか。全く違う話になったはずですが、それはそれで見てみたかったです。

本作品はスカンジナビア方式(監督はフィンランドへの移民)で作ったのだそうです。すなわち、ナレーターを入れず、ドラマツルギー的にプロットを立てて進めていくやり方だそうです。

こういう方式は、確立している国では受け入れられやすいでしょうが、日本みたいな国では一般的ではないので、評価は分かれるのかもしれません。

どうしても、どこまでが事実でどこからがフィクション、というのを視聴者が理解できないといけないため、視聴者の理解力も問われるからです。

監督によると、作品を撮影する前、何ヶ月間も時間をかけて村の人たちとコミュニケーションをとり、信頼関係をきちんと作っていくのだそうです。

それから、本番撮影前も、リラックスするようしばらく雑談をしてから撮影するのだそうです。出演者は皆一般人ですので、こういう配慮は必要ですね。といっても、出演者が「演技」し始めてしまったらおしまい、ということです(^_^;) 架空人物を演じる役者ではないのですから。

完全にフィクションを作り上げていくのも面白いですが、ある現実を物語風に仕立てていくというのも面白い表現方法だと思います。こうした手法が適した分野もあるのではないかと思います。

最後に、本作品はブルガリアの現状と欧州難民問題を鮮やかに描いていて、作品として面白いのはもちろんですが、ドキュメンタリーとフィクションの垣根を超えた表現としても、とても興味深いものだと思いました。

スポンサーリンク
レクタングル(大)
スポンサーリンク
レクタングル(大)